Life with DISNEY

名古屋から東京ディズニーリゾートへ通う、遠方ディズニーオタクのブログ

アメリカンウォーターフロントのBGMとマーチ王「スーザ」|興味があって調べてみた

 

東京ディズニーリゾートではゲストの没入感を深めるため、エリアごとに細かくBGMが設定されています。

例えば、ランドにある「トゥモローランド」ではシンセサイザーなどを使用した電子音の音楽が流れていたり、シーの「マーメイドラグーン」では映画『リトル・マーメイド』の有名な楽曲をアレンジした音楽が流れていたり。聴覚的にもそのエリアに入り込めるようになっているのです。

 

私がBGMに興味を持つきっかけになったのが、「アメリカンウォーターフロント」のホレイショースクエアエリアでした。

 

”ホレイショースクエア”は、S.S.コロンビア号が停泊している埠頭エリアのことだよ!

 

中学・高校・大学とずっと吹奏楽をやっていた私。

大学生になった頃のあるインパで、BGMが全て軍隊マーチであることに気が付きました。中には中高時代に実際に演奏した経験がある曲もあり、懐かしさでテンションが上がった記憶があります。

 

……でも、なぜディズニーで軍隊マーチがBGMとして起用されたんだろう?

 

ということで、ちょっと調べてみました。

 

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「マーチ」とは

マーチを日本語で言うと「行進曲」で、歩くスピードを揃えて行進するために演奏される曲です。

 

実際にアメリカンウォーターフロントで流れている曲で一番有名なのは、この曲ではないかと思います。

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どうですか?リズム良く1・2・1・2と歩けますよね。

吹奏楽部の人であれば、何かしらで演奏する機会があったかもしれません。吹奏楽経験が無くても、「あ~この曲聞いたことある!」という方がいらっしゃると思います。

 

『ワシントン・ポスト』を始め、アメリカンウォーターフロントで流れている曲は大半が「スーザ」という方が作曲したものです。

 

 

マーチ王 ジョン・フィリップ・スーザ

スーザは1854年にワシントンで生まれました。

ワシントン海兵隊楽団のトロンボーン奏者だった父の影響で、幼少期から音楽の勉強を開始し、その後ワシントン海兵隊楽団に見習いとして入団します。20歳の時に楽団を退団し、ワシントンのオーケストラのバイオリン奏者および指揮者として活躍しました。

 

1880年、ワシントン海兵隊楽団からバンドリーダーに指名され、以後12年間、楽団のバンドリーダーをつとめます。

アメリカンウォーターフロントでも流れているような有名なマーチの数々はこの時期に作曲され、「マーチ王」と呼ばれるようになったそうです。

 

1892年「スーザ吹奏楽団」を結成すると、すぐに全米各地で演奏をするようになり、アメリカで最も有名なバンドになりました。そして、1910年にはワールド・ツアーを実施します。すごい……。

 

1914年に第一次世界大戦がはじまるとバンドは解散となりましたが、終戦後に再結成。以後、1932年にスーザが亡くなるまで、バンド活動は続きました。

 

……ちなみに、パーク内でこんな楽器を見たことありませんか?

正面を向いた大きなラッパ。これは「スーザフォン」と言う楽器で、バンドでは低音域を担当します。

画像出典:https://jp.yamaha.com/products/musical_instruments/winds/marching_brass/ysh-301/index.html

スーザフォンは楽器の名前の通り、スーザによって考案された楽器です!輪っかになっている部分に上半身を通し、左肩に掛けるような構えで演奏します。

ちなみに材質によりけりですが、重量は10~15kg。真鍮製のものはかなり重たいそうです。

 

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ブラスバンドが盛んだった20世紀初頭のアメリカ

「スーザ吹奏楽団」がアメリカで有名になると、各地でこのようなバンドが登場し、民間楽団のレベルも上がっていきました。

 

1911年、エドウィン・ゴールドマンという作曲家がニューヨークにて「ニューヨーク・ミリタリー・バンド」を結成。1918年には「ゴールドマン・バンド」へ名称を変更し、ニューヨークを拠点に活動していました。

ゴールドマンは1929年に「アメリカン・バンドマスターズ・アソシエーション」を設立し、スーザが名誉会長に、ゴールドマン自身は会長に就任しています。ちなみに、今となっては吹奏楽コンクールが盛んな日本ですが、このような組織が出来たのは1960年代です。

 

さて、話が長くなりましたが、アメリカンウォーターフロントへ帰ります。

 

 

「アメリカンウォーターフロント」の時代背景

 

※本章は私の個人的な考察です!※

 

アメリカンウォーターフロントは、20世紀初頭のニューヨークおよびケープコッドが舞台となっています。ホレイショースクエアは皆さまご存知の通り、大都会ニューヨークのエリアです。

 

もう少し具体的に年代を紐解くと、S.S.コロンビア号の処女航海が1912年のことでした。

ディズニーシー開園当初にあった「セイリングデイ・ビュッフェ」が、S.S.コロンビア号の処女航海の祝賀会がテーマだったので、ホレイショースクエア全体が1912年頃のイメージで良いのではないかなぁと思います。

……セイリングは無くなってしまい、レストランのコンセプトも変わってしまいましたが、とりあえず今回は細かいBGSは気にしないでおきます。笑

 

 

今までのことを踏まえると、1912年はアメリカ国内では既に「スーザ吹奏楽団」はワールド・ツアーを開催できたくらいに有名になっており、ニューヨークではゴールドマンによる「ニューヨーク・ミリタリー・バンド」の活動が始まっていた頃と考えられます。

 

当時の人々の娯楽はこういった生の音楽やサーカスなどが中心だったので、スーザのマーチの数々も、音楽に興味関心のある人たちにはとっくに娯楽の一種として浸透していたのかもしれませんね。

 

また、スーザは海兵隊楽団出身です。そのため、埠頭エリアでスーザのマーチが流れているのはまぁ不自然ではないな、と思いました。

 

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まとめ

今回は、ふとした興味からアメリカンウォーターフロントのホレイショースクエアのBGMについて調べてみました。

 

「なぜディズニーで軍隊マーチがBGMとして起用されているんだろう?」というちょっとした疑問からの気の向くままの調べものになりましたが、私の中では当時スーザのマーチは娯楽の一種として国民に親しまれていたのかも!?という結論に辿り着きました。

 

ちなみにBGMとしては使われていないですが、スーザが作ったマーチの中で一番有名なのは、『星条旗よ永遠なれ』かと思います。

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有名すぎてBGMに選ばれなかったのか、はたまた「星条旗万歳!」感が強すぎて日本では選ばれなかったのか……。

 

さて、今回の記事はここまでとなります。

需要があったかは分かりませんが笑、最後までご覧くださりありがとうございました。

 

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